昨年は7月を最後に放置していたブログですが、また少しずつ
書いて行こうかと思ってます。。。
昨年6月より実家の祖母の具合が今まで以上に悪化し、6月の時点で
医師からは「いつ亡くなってもおかしくない状態です」と宣告されました。
7年程前から老人施設に入っていて自分で歩く事も出来なかったのですが
話す事はできました。ですが痴呆も進んでいたので話がかみ合わない事も
ありましたが、笑う事もできました。しかし6月に入院してからは目を開ける事は稀で、
話す事も出来なくなってしまいました。
それから5ヶ月後に祖母は亡くなってしまいました。
6月に医師から宣告されたにもかかわらず、私は数えるほどしか見舞いには
行きませんでした。私の中で『ばあちゃんが亡くなる?????それはまだ先の話
』亡くなったらの葬式の話し合いも、本当はちゃんちゃらおかしいわ~という
気持ちでした。37歳にもなって『ばあちゃんは死なない』なんて思い込んで
いたのです。なので亡くなった時は悲しいより先に『ちょっと待ってよ!!!!!まだ
でしょ!?』というのが率直な思いでした。亡くなってからは、次々と押し寄せてくる
段取りに動かされ悲しんでる間もありませんでした。只、火葬場に行く前に
自宅を通って行ったとき、あんなに帰りたがっていた自宅に上がる事も
出来ない状況に涙が溢れ、やっと祖母が亡くなった事を実感しました。。
それから二週間香典返しを用意して一段落後は49日法要までは何もないね
なんて実家の母と話していた二日後、
主人の母が突然亡くなってしまいました。
義母は15年程前に脳梗塞を患ってから三ヶ月に一度脳外科にかかって
いました。亡くなった日はいつもと違う腰痛もかかっていました。といっても
先に脳外科にかかったので腰痛を診てもらうことは出来ませんでした。
10時半頃痙攣を起こしお昼前にはもう亡くなってしまいました。あっという間に
逝ってしまいました。病院にわりと近い学校にいた子供達でさえ間に合わず
最後には会えませんでした。
大動脈瘤破裂によるものでした。本人も家族も医師でさえもそんな物を
抱えていた事には気付きませんでした。
祖母の亡くなった時とは変わって涙が溢れ止まりませんでした。
何より信じられず『絶対目を覚ますから待って!!!!!』という気持ちでした。
まだ体が温かいうちに一人で霊安室に居た時は揺すったら目覚めるのでは!?
等と考えられないくらい幼稚な発想で揺すってみたりもしました。でもやっぱり
起きてくれませんでした。
―――――その後はもう後悔の嵐でした。
私は義母とはあまり良い関係とは言えず、一緒に住んでるにもかかわらず
なるべく関わらないようにしていました。とはいえ同じ屋根の下に住む者同士
、二世帯住宅でもない家で話す機会も沢山ありました。しかし私はいつでも
そっけない答えで笑顔を見せる事も少なかったのです。
亡くなった日も病院まで車で送ったのですが乗っている間、いつもは
世間話をするのですがその日は朝から機嫌も悪く一言も話しませんでした。
降り際に「終わったら電話ください」といった言葉に義母が
「あんにゃ(主人の事)が来るからいい!!」と強い口調で言われたのが最後でした。
何でその日に限って話をしなかったのだろう、、、何で笑顔で話す事が
出来なかったのだろう、、、次から次へと頭の中を駆け巡りました、、、
亡くなってから夢に出てきた事がありました。
お棺に入れた着物と同じ色と生地の洋服を着て廊下に座って
「さーめわや~」(寒いよ)と言ってニコニコしていました。
私と主人は二人で義母の手を泣きじゃくりながら引っ張って
部屋に入れようとしましたが全く動かずただ一言ニコニコしながら
「い~わや~」(はいらなくてもいいよ)と言って目が覚めてしまいました。
起きてからすぐその廊下に行ってみました。また涙が溢れました。
亡くなって悲しいというより、とにかく空しい気持ちです。
それは4ケ月過ぎた今でも変わることはないです。
義母は義父から受け継いだ寒梅を何十年も咲かせ続けてきました。
今年は主人が咲かせました。
「おかあさん安心してね。。」
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